バリッドちゃん外伝: 箇条書き太郎の誕生日

( gift arrived: Feb. 16, 2003 / published: Feb. 18, 2003 / finished: Mar. 16, 2003 )

概要

箇条書き太郎の誕生日に『キョウ・キタムラの店』で作った名札をバリッドちゃんがプレゼントする話。

という訳で、北村 暁さん提供の篆書バナーにインスパイアされて作成された話。

本編


日曜日の朝、セイン・アイゾは、箇条書き太郎の寝室の戸を叩いた。「箇条書き太郎、箇条書き太郎?起きていまして?」

「自分ならこちらにいますが」横からの声に思わず尻餅を付いたセインの横には、既に着替えを済ませた箇条書き太郎が立っている。「セインさまの育てていらっしゃる作物の手入れのため、少し早起きして来たのですが…」

「ありがとう、ところで…」身を立て直し、話を続けようとしたセインだが、その続きが言い出せず、十数秒間頭を押さえたまま動かなくなった。「いや、何でも。中庭を見てくれてありがとう」無難な受け答えの後ダイニングへと向かったセインは、その内容を思い出すべく苦闘を続けていた。「ええと、何を言おうとしたのだか…」


「バリッドちゃん、『びっくりパーティ』っていうの、聞いたことある?」洗い場のキネコ・シーは、朝食の白飯と煮物を食べているバリッド・バリッドに訊いた。「この土地の風習でね、誰かにいいことがあったら、その友達がパーティを開くというものよ。当人には内緒で準備をして、当日になったら当人をいきなり会場に連れ出して驚かせるというものよ」

「『びっくりパーティ』って、名前だけは聞いたことはあるんだけど…どうして急にそんなことを?」フラットの管理人の唐突な問いかけにバリッドは戸惑った。

「カレンダーの今日の日付に、印が付いていたでしょう?あれに触るの、バリッドちゃんとあたしだけだから、きっとバリッドちゃんかなーと思って」

「ええっ、今日ですって?」バリッドは慌てて立ち上がった。「箇条書き太郎の誕生パーティって来週だと思っていたのに…」

「ええと、来週の分には何も印は付いていないけど?」

「何て事を…よりによってパーティの日を間違えるなんて」バリッドは頭を抱えた。「プレゼントも何も用意していない…」

「バリッドちゃんが『びっくり』してどうするの」洗い場に戻ったキネコは肩をすくめた。「ところで、今日パーティをやるとしたら何処でするの?ここでするならそれなりの手伝いはしてもらわないと」

「ここでパーティだと?冗談ではない!」2階からダイニングに向けて声を向けたのはパッハー・トホだ。「折角の休みなのに、下で騒がれては、眠るに眠れないではないか!」

「ISO子ちゃんの屋敷でやる筈だから、その辺は心配なく。それよりプレゼントをどうするかだけど…あっごちそうさまキネコさん」バリッドは空の食器をキネコに渡し、自室に戻った。

「あのセイン・アイゾのお嬢さんを『ISO子ちゃん』と呼ぶなんて、本当に仲良しなのね」

「本当にここでパーティはやらないんだろうな?全く、目が覚めてしまったではないかピクピク〜」バリッドの部屋の扉を憎々しく眺めながら、トホは黄色い覆面を被り始めた。悪い空気から脳を守るためとは彼の主張だが、丸い眼鏡と黄色い無地の覆面だけの顔は、周りのものを何一つ受け入れない頑固者の顔だった。


バリッドが「びっくりパーティ」に立ち会ったのは別に初めてではない。ただその最初の時は招待される側であり、悪の組織による拉致工作を思わせる演出や、主催者であるリント・ニッシーの料理の遅さばかりが印象に残り、とても楽しいと思えるものではなかった。しかも調理中に「ほーむぺーじ」が現れ、セインがガス爆発に巻き込まれる事件まで起きた。奇跡的にもセインが無傷で助かったから良かったが、こういったトラブルに巻き込まれるぐらいなら派手なパーティなどやらず、家族でひっそり祝いたいというのが本音だった。

「とはいうものの、友達の主催するパーティを断るというのもねぇ…」クロゼットを開いたバリッドは服の物色を初めた。「こういう時は晴れ着を着るものだけど、今回主賓は箇条書き太郎だから、あんまり派手すぎるのは避けないと」


結局バリッドはピンク色のレオタードとタイツに、白いレースのスカートという服装を選んだ。華やかさとシンプルさとの兼ね合いで悩んだ末の選択だった。「キネコさん、パーティ用の服を選んだんだけど、これっておかしくないかしら?」ダイニングに出たバリッドはキネコの前で体をひねって胸や背中のシルエットを見せた。

「あら可愛いじゃないの、妖精のお姫様みたいで。今日は寒いから、その上にケープを羽織ったらいいと思うわ」

「お姫様」の一言に一瞬ひやりとしたが、肯定的な意見を貰えたことで、バリットはひとまず安心した。「ありがとう、ところで箇条書き太郎のプレゼントにお薦めというのは無いかしら」

「それなら、港の近くに出来た、『キョウ・キタムラの店』ってどうかしら?最近出来たらしい店なんだけど、即興で名札を作ってもらえるというのは、面白いんじゃないかしら。ところでパーティは何時から始めるの?」

バリッドはポシェットの中のメモを開いた。「ええと、メモによると、2時半にISO子ちゃんの屋敷の門の前に集合ということになってるけど…」

「だったら今から行った方がいいわよ、最近は結構行列が出来ることも多いみたいだから。そうだ、そのメモを貸してちょうだい」キネコはバリッドのメモにペンで書き込みを始めた。「このフラットを出たら、地図の通り行けば店に着くわよ」


フラットを出て30分後、バリッドは港の周りを地図片手に探し回っていた。「地図によるとこの辺りなんだけど…」しかし店の看板らしきものはどこにも見あたらない。裏通りに廻っても同じことだった。「そうだ、あの人に訊いてみよう」路上でフードを被って立つ女性を見つけたバリッドは、その方角へ駆けていった。

「失礼します、キョウ・キタムラさんの名札屋さんって…」女性の顔を見ずに切り出したバリッドの言葉はそこで一度詰まった。女性が立っている先に十数人ほどの行列が出来ているのを見たからだった。「…もしかして、ここですか?」

「ええそうよ、ここの店主は人の名札を作るのが忙しくて自分の看板を…ってバリッドさんじゃないの!」その女性はプレスクールの先生、チヒロー・タケックだった。「この前は御免ね、折角の休みの日に授業を手伝わせちゃって」

「子供たちと遊んでいただけですけどね」開校記念日のときの出来事をバリッドは思い出した。市場へ買い物へ行く途中、「ほーむぺーじ」がプレスクールの敷地内に入ってゆくのを目撃したバリッドは、混乱を避けるために裏山から敷地内に入り込み、秘密裏に「マークアップ」を行った。しかし「マークアップ」の直後、先生や児童に所在が分かってしまい、結果児童達の遊び相手をやらされることになってしまったのだった。「あの時は箇条書き太郎が真っ先にわたしに気付いたんだった。あれで帰るのが遅くなって、その晩キネコさんにたっぷり絞られたんだっけ…今回は午前になる前に帰宅できればいいんだけど」

「バリッドさんは箇条書き太郎君のプレゼントを作りに来たの?本当は私もお祝いしたかったんだけど」いささか申し訳なさそうに、チヒローは尋ねた。

「そうですけど、タケック先生は別の用事があるので?」

「今日は昼から自宅のリフォームがあってね、表札を作ってもらったら直ぐに帰らないといけないのよ。あっ列が動くわよ」チヒローの後に続いて、バリッドは店内へと入っていった。


一軒家を改造したらしい店内はバリッドの想像よりも遙かに狭かったが、5〜6人の客が茶菓子を食べながら職人達の作業を見学出来るぐらいの広さはあった。受付でデザインを申し込んだバリッドは、テーブルの前に座った。

「JISタウンに古くから伝わる『グリーンティ』でございます」小柄な少年が現れ、茶碗をバリッド達の前に差し出した。その殆ど骨と皮だけに見える手に、バリッドは見覚えがあった。

「パイロ・ウメダ君、日曜ぐらい仕事を休まないと、体を壊すわよ」バリッドに呼び止められたその少年、パイロ・ウメダは、思わず盆を放り投げた。

「ややっ、バリッドさんも来店されるとは」と言い終わる直前、パイロは短い呻き声を挙げ、尻餅をついた。「あいたたた…でも放り投げた盆がお客様でなく、あっしに当たったのは幸運でしたな」

「ところで、さっき「バリッドさん『も』」って言わなかった?」立ち上がろうとするパイロの手を取りながら、バリッドは尋ねた。「『も』ということは誰か知っている人が来たの?」

「セインさんです。たった今帰られましたがね」

「ISO子ちゃんが今日来た…てことは、やっぱり箇条書き太郎の?」

「ええと、セインさんが頼んだのは確か…いやいやいやバリッドさんとはいえ、顧客の情報漏洩を起こしては店の信用がっ。あっ済みません今お菓子を持ってきますから」他の客に目を向けたパイロは、逃げる様に店の奥に戻っていった。

「そうか、ISO子ちゃんが来ていたのか…って、これって『情報漏洩』になるのかしら」パイロを見送ったバリッドは軽くため息をついた。「ということは、ISO子ちゃんと全く同じ名札を作っている可能性があるのか…やっぱり名札でない別のものにすれば良かったかしら」

暫く後、工房の職人の一人が声を挙げた。「バリッドさん、出来上がりましたよ。勝手口の方に廻ってください」

「それじゃ先に行ってます、タケック先生」軽く挨拶を交わした後、バリッドは店を出た。


勝手口に廻ったバリッドは、大柄な初老の男から、紙袋を受け取った。その男が店の主人、キョウ・キタムラであることを、バリッドは直感した。

「ありがとうございます、キョウ・キタムラさん。それじゃあ、お代金を…」とポシェットを開きかけたバリッドの手を、キョウが遮った。「お代金はもう頂きましたよ、ここは前金制だから。それより、出来上がりはどうですかね?」

バリッドが袋を開くと、厚さ5ミリ、長さ20センチ、幅6センチ程の白い樹脂製の板が現れた。その表面にはバリッドが今まで見たことの無い不思議な模様が朱色で描かれている。「これで、『箇条書き太郎』と読ませるので?」バリッドは首を傾げた。

「『篆書』といいましてね、今から5000年とか10000年とかの昔に実際に使われた書体です。お嬢さんは外国の人の様だから、なかなか分からないとは思うけど、JISタウンの人なら、見ただけで大体何が書かれているか分かるものなのです」

「『テンショ』ですか…由緒有る書体なのですね。こうして見ると、とても美しいです」一通り名札を眺めたバリッドはそれを袋の中に入れ、キョウに一礼して約束の場所へ向かおうとしたところで、急に足を止めた。「はて、何か忘れていた様な…」

「申し訳ありません、お客様はプレゼント用の包装をご希望でしたね」キョウの後ろから、作業服の女性が飛び出してきた。どうやらキョウの弟子らしい。「今袋をお取り替えしますから、もう暫くお待ち下さい」女性はバリッドから袋を受け取ると、慌ただしく店に戻っていった。

「もっと静かに歩きなさい、名札が割れたらどうするんだね」キョウは店の中へ呼びかけた。


バリッドが手直しされた紙包みを抱えてセインの屋敷へ向かっていたころ、その屋敷の正門には、リント・ニッシーをはじめ、数人の少年少女達が集まっていた。

「えー皆様、本日はお日柄も良く…」小さい調理帽に、藍染めの法被を羽織ったリントが周りの少年少女達に名乗り出た。

「『お日柄も良く』なんて、今日は朝から日が差してないけど?」白いセーラーのワンピースのメメリー・ミッカーは、アイスクリームを嘗めながら彼の様子を冷ややかに眺めていた。

「枕詞だよ、祝い事の挨拶のね」プレスクールの少女の声にも動じず、リントは続けた。「えー、本日誕生日を迎えられる箇条書き太郎様、そしてご来場の皆様の為に、この、『花板』リント・ニッシーが特製懐石料理を振る舞いたく…」

「気持ちは有り難いけれど、今日はもう料理は出来上がっておりますのでね」正門の柵越しに、黒いシースルーのドレスのセインが応えた。「あなたに任せたら、調理だけで夜明けまでかかることが分かったから、こちら側で全て賄うようにしたの」

「おいおいISO子ちゃん、まだ先月のワカサギ飯のことを恨んでるのかい?」リントは先月のセインの誕生日にも、「ピストル・リント・ニッシー」と称して、自宅で手料理を振る舞っていた。そこでは海老の塩焼きの様にそこそこ食べられる料理と、誰にも食べられない不味い料理とが交互に出てきて、来場者達にとってはまさに拷問だった。特に不評だったのが、彼が満を持して作ったというワカサギ飯で、作った本人も「うーん、これは不味い」とバリッドに押しつけてしまうほどの代物だった。勿論料理の時間も半端ではなく、始まったのは正午過ぎにも関わらず、デザートが出てきたのは翌日の朝で、まともに立っていられたのはリントだけだった。そんな訳で、客の安全の為にも、箇条書き太郎の誕生日には料理をリントに作らせまい、とセインが考えるのは実に自然な事だった。

「あの、今思い出したんですけどね、先月のアレ、『ピストル』でなく、『ビストロ』じゃなかったんですかね」いつの間にか駆けつけてきたパイロが、亡父の形見のスーツの皺をたぐり寄せながら尋ねた。

「そこは本筋じゃないだろ!」リントは入学時からの親友の眼鏡を取り上げ、彼の顔を軽く拳で小突いた。「大体君はあの時、夕方ぐらいで帰ったじゃないか。今回の一番のスペシャリテも食べないでさぁ…っと、眼鏡はこの向きで良かったんだっけ?」リントはパイロの眼鏡をかけ直したが、同時に何ともいえない違和感を感じていた。

「はぁ、一応何ともないですけれど、いつもに比べて何かえらく不安定で…あっセインさん?」

「恐らくこうするんじゃないかしら?」柵から手を伸ばしたセインは、パイロの眼鏡の上下をひっくり返してかけ直した。「ほら、これで眼鏡が顔から外れなくなったでしょう?」

「全く、リントったら眼鏡のかけ方も分からないなんて」3人のやりとりを見ていたメメリーは忍び笑いを続けていた。「ところでさ、主賓の箇条書き太郎君はどこに行っているの?」

「箇条書き太郎は今庭仕事中ですが、もうすぐ屋敷に戻る頃です」セインは屋敷の時計に目をやりながら応えた。「寒くなってきたので、ちょっと早いですが、皆さんを一旦ロビーに案内します。そこで出来るだけ静かにお待ち下さいませ」


来客達が暖かいロビーに集まった頃、セインは中庭に面した厨房の側を通っていた。「えぇと、いつもならこの時間にこの廊下を通って部屋に戻る筈なんだけど…ええっ?」セインが驚きの声を挙げたのは、厨房の中に小さな人影を見たからだった。

厨房に入ると、そこでは執事のナイアー・ウーが出来たての砂糖細工をケーキの上に乗せている所だった。「驚かせないで下さいお嬢さま、ここは精神集中が必要なのでして」そう応えるナイアーの後ろに、気になっていた小さな人影があった。パンとベーコンや野菜を積み重ね、串に刺そうとしている箇条書き太郎だった。

「そうですよセインさま、取り乱した様子を来客の方々に見せてしまっては、失礼にあたりますから」箇条書き太郎は串刺しにしたパンに包丁を入れながら応えた。「それよりセインさまは、来客のお相手をしないで良いのでしょうか」

「ああっ、何てことを…」計画が完全に破綻したことに気付いたセインは、一呼吸置いて箇条書き太郎に応えた。「続きはわたしがやりますから、箇条書き太郎はロビーへいらっしゃい。来客の方々と会うのは、今日に限り、あなたの仕事としますから」

セインは、箇条書き太郎の誕生祝いを、直前まで知らせないつもりだった。箇条書き太郎は昼過ぎまで庭仕事をするのが日課だったので、彼が屋敷に戻ってくるところに多数の来客達を見せ、驚かせるという計画だった。それがどういう訳か来客の登場が箇条書き太郎の知られるところとなり、主賓である筈の彼が、自分の誕生パーティの為の料理を作っているという、本末転倒な事態を引き起こしていたのだった。ロビーへ向かう箇条書き太郎を見送ったセインは、調理帽と白衣を重ね着し、調理台の前に向かった。

「お嬢さまももう少し独り言を減らさないと。本当は内緒にするつもりだったのでしょう?」出来上がったケーキを皿の上に盛りながら、ナイアーは言った。「ところで、何故この日に箇条書き太郎さまの誕生祝いをすることにしたのです?」

箇条書き太郎は両親に死なれ、引き取る親戚も見つからない、身寄りの無い子供であると、ナイアーはセインから聞かされていた。物心つかぬうちに家族を失って、自分の誕生日を知らされていないのだと、ナイアーは考えていた。しかし、セインがこの日に箇条書き太郎の誕生祝いをする理由にも薄々気付いていたのだった。

「誕生日が分からなければ、誕生祝いをしてはならない、という決まりも無いでしょう?」切り終わったパンを皿に盛りながら、セインは応えた。「それに、イエックの誕生日も祝ってあげたいから」

「やはり、イエックさまのことを忘れられないのですね」イエックとは、数年前、セインがJISタウンに渡る直前に病気で亡くなった弟の名前だった。セインが誕生祝いに選んだこの日は、そのイエックの誕生日でもあった。「イエックさまは、生きているうちに、幸せを知ることもなく亡くなられてしまわれた。そんなイエックさまを慰めるために、この日を選んだのでしょう?…いかんいかん、子羊が焦げてしまう」ナイアーはこぼれかけた涙を拭い、オーブンの側へ駆けていった。

その様子を見ながら、セインは、箇条書き太郎との出会いを思い出していた。バリッドと河原へ遊びに行ったとき、セインは川上から人型をした石状の物体を拾い上げた。箇条書きと思われる文字列を彫り込まれたその物体は、ふとした事故によって「ほーむぺーじ」に変化し、川を氾濫させたのだが、バリッドの「マークアップ」によって、少年の姿に変化した。それが箇条書き太郎だった。「あの時、わたしは『イエック・アイゾ』と名付けるところだった。でもバリッドの声を聞いて、『箇条書き太郎』と名付けたお陰で今、箇条書き太郎とイエック、『二人』の誕生祝いが出来る…」バリッドの明るさと優しさを改めて思いながら、セインは料理の盛りつけに戻った。


「おかしいな、5分前なのに、誰も来ていない…」屋敷の正門の前に辿り着いたバリッドは、屋敷の時計を見ながら呟いた。「まさか、集合場所が変わったか、あるいはやっぱり来週が正しかったのか…」しかし正門の横の通用口が開いたままになっていることに気付いたバリッドは、そこを通って屋敷への石畳を駆けあがった。

呼び鈴を鳴らすと、玄関の扉が少しだけ開いた。「バリッド・バリッドさまですね。どうぞお入り下さい」出迎えてくれたのは、今日の主賓の筈の箇条書き太郎だった。「今日は気温も低いということで、先に来られたお客様を少し早めにロビーへとお迎えしました。そのお陰で待ち合わせが分かりづらくなったことをお許し…」

「それはいいんだけど」バリッドは珍しく箇条書き太郎の言葉を遮った。「何故あなたが接待するのかしら?この時間は庭仕事の真っ最中だと、ISO子ちゃんから聞かされていたのだけど」

「はい、自分の誕生祝いということで、多くのお客様が来訪されるのであれば、自分も庭にこもったままという訳にはいきますまい」

バリッドは頭を抱えた。「ああー!気付かれてしまったのか…!直前まで内緒にする筈だったのに」

「内緒って、とっくに分かっていたよ、箇条書き太郎君は」バリッドの入場に気付いたリントが、ノンアルコールビールを片手に近づいてきた。「先週帰り際に彼に会って、えらく上機嫌そうだったから聞いたら、『今度の日曜は誕生祝いがあるから』って」

「ええっ!それじゃ今まで必死で隠していた意味が…」

「ISO子ちゃんは何かに取り組むと独り言が増えるから、それで気付いたんじゃないの?何というか、口が軽いというか、間が抜けているというか」

「箇条書き太郎くんの勘が鋭いのよ。独り言だけで全てを理解するなんて、そうそうできないものね?」メメリーは大麦のビスケットをほおばりながら、2人のやりとりに首を突っ込んだ。

「有り難い限りです」箇条書き太郎は、帽子を脱いでメメリーに礼をした。「しかしセインさまもあの様な状況で最良のことを考えて行動をされているのでありまして、決して無知蒙昧な存在では…」

「おう、ここは勝負所だぞ箇条書き太郎君!メメリーの嬢ちゃんがプロポーズしているんだからな」箇条書き太郎とメメリーとの様子に、リントが檄を飛ばした。「そういえばそのISO子ちゃん、箇条書き太郎を呼ぶって奥に行ったきり、姿が見えないなあ…」

「パーティの準備で手間取っているんじゃないかしら?」箇条書き太郎が手渡した麦茶を飲みながら、バリッドは応えた。「ちょっと部屋の方を探してみるわ」


料理の配膳が一段落したセインは、自室に戻って最後の仕上げを行っていた。「さてと、これをどうしたものか…」セインのベッドの上には、厚さ5ミリ、長さ20センチ、幅6センチ程の濃紺色の樹脂製の板が置かれていた。その表面にはセインも今まで見たことの無い不思議な模様が朱色で描かれている。

「『篆書』っていう書体があるのは聞いたことがあるけれど、これでは単なる模様なのではないかしら」名札の上に三種類ほどの色紙を並べながら、セインは呟いた。「店の人はこれで『箇條書太郎』と読むって言っていたけれど…取り敢えず包装紙はこれにしよう。あとはリボンか何かがあれば…」

セインが抽斗の中を物色していた頃、バリッドは屋敷の廊下を彷徨っていた。「こんな広いお屋敷に、2人しか住んでいないなんて…あっナイアーさんもいたけど、それでも3人か…」セインの屋敷は2階の無い、いわゆる平屋だったが、その廊下は複雑に入り組んでおり、途中で微妙な斜面が付いていたりもする、まさに立体迷宮であった。「ISO子ちゃんの部屋の番号は150っていうのは覚えていたのだけれど、どうやって行ったかまではさすがに思い出せないな、果たして」

バリッドが困惑していたのには理由があった。部屋に振られていた番号が場所によってまちまちで、傍目にはランダムにしか見えないからだった。「この部屋が149ということは、隣は150…じゃなくて521か…。ISO子ちゃんは番号にはちゃんと法則があるって言っていたけれど、一体どんな法則が」

一方セインは、抽斗の中から見つけた麻糸を使って、褐色の包装紙に包まれたプレゼントを結び、デコレーションを完成させた。「うん、なかなかうまくいったのではないかしら」傍目には郵便の小包にしか見えない、萎びた包装だが、セインは大満足だった。「さて、お客様をこれ以上待たせるわけにはいかないから」姿見でドレスや髪の乱れをチェックした後、セインは「小包」を片手に部屋の出入り口へ向かった。

バリッドが「150」という札をかけた部屋を見つけたのは、丁度その時だった。「ここだわ、ISO子ちゃんの部屋は」バリッドはその部屋のドアを軽く叩いた。「バリッド・バリッドです、セイン・アイゾさんの部屋はこちらでしょうか」

部屋の外からの声を聞いたセインは、声の主がバリッドであることにすぐに気付いた。「『セイン・アイゾさん』なんて、他に誰がいるのかしら?はい、いま開けます」セインがドアを押して部屋を出ようとしたのと、バリッドがドアを引いて部屋を覗き込もうとしたのは、ほぼ同時だった。

鈍い衝突音と、二人の短い悲鳴、少し遅れて床に何かが落ちる音が廊下に鳴り響いた。二人が状況を理解するのには、暫くの時間を要した。「きゅ、急にドアを開いたら頭が…」先に口を開いたのはバリッドだった。「部屋の主に開けさせるのは失礼だと思って手を出したのだけれど」

「そ、それはどうも。でもドアを開けるのは部屋の主のすることですから…ああっ!」セインはその直後、自分が最悪の事態を迎えたことに気付いた。「そんな、そんなことが!」

一方のバリッドも、自分の迎えた惨劇に呆然となっていた。「よりによって、よりによってこんな時に…ってISO子ちゃん?」尻餅をついた状態での見つめ合いは、十数秒ほど続いた。


部屋の中に入った二人は、ベッドの上に包装を乗せ、「惨劇」の様子の確認を始めた。

「あの時だわ、尻餅をついたときに踏み潰してしまって…」バリッドの目の前には開封されたプレゼントがあった。白い名札にはひびが入り、特に直撃を受けた下半分は粉々になってしまっていた。「こんなものをプレゼントに出すなんて、ねえ」

「それってキョウ・キタムラのお店で作ったものかしら?」セインの問いかけに、バリッドはパイロとのやりとりを思い出した。「そうだけど、ISO子ちゃんのプレゼントは?」バリッドは敢えてパイロと会ったことは話さず、それとなくセインに尋ねたが、そのセインは「小包」との格闘で手一杯だった。

「うっうーん、この紐をほどくのは結構厄介な…やはり鋏を使うしか」セインは鋏で無理矢理紐を引きちぎり、皺だらけの包装紙を引き裂いていった。「ああっ、やっぱり駄目か…」剥き終わった卵殻の様な包装紙を片づけると、中からは、ひび割れた濃紺色の名札が出てきた。

もう少し綺麗な包装をした方が良かったんじゃなかったの、と言いたくなるところを、バリッドは何とか堪えた。「ISO子ちゃんも名札か、ということはそこに書かれているのは…」上半分が粉々に砕けたその名札の文様に、バリッドは注目した。

「『篆書』ですよ、JISタウンが出来る10000年以上前に使われていたという字体で…という意味で訊いたのではないのですね」セインは並べられた名札を見比べながら応えた。「わたしもキョウ・キタムラの店で作ってもらったのですよ、『箇條書太郎』の名札を」

「二人して同じもの作って、同じ様に壊してしまっては世話無いわ」箇条書き太郎へのプレゼントを失ったことを、バリッドは嘆いた。「どうする?踊ってごまかす?」バリッドは横を向いて、セインに訊ねようよとしたが、そこにはセインの姿は無かった。

「踊るのもいいけれどね、わたしは」そのセインはバリッドの後ろで、抽斗の中を探っていた。「一つ試してみたいことがあるのでね。でも、成功する保証はないから、予め体を温めておいてらっしゃい」セインの手には、やすりと接着剤が握られていた。


バリッドが渋い顔で準備体操を始めた頃、箇条書き太郎と来客達は、パーティ会場であるホールで、主催者を待っていた。

「いやそれにしても凄い量の料理ですなあ、これをリントの旦那が作ったら何日かかることか…」皿に飾られた料理の山に圧倒されたパイロは、薄く切られたチーズの1枚をつまもうとした。しかし横から伸びた手が、パイロの手首を掴んだ。

「捕まえたぞ、つまみ食いの現行犯!大人しく白状するんだ」パイロの腕を掴んだリントは、くぐもった声でパイロを叱った。

「ひいっ堪忍してくださいよ旦那、あっしは昨日の晩から何も食べていないんで」

「そんなこと言い訳になるか」リントはパイロの腕を引きながら応えた。「それに聞いたぞ、周りの状況も考えずに人の調理を遅いと決めつけて…」

「二人とも止めなさいよ、つまみ食いなんて大人げない」突然の後ろからの声にリントは大きくのけぞった。

「メ、メメリーのお嬢さん、犯人はこいつですよ」メメリーの側に向き直ったリントは弁明を始めた。「丁度僕が彼の横を通ったところを犯行を目撃したので…」

「じゃあ何で左手を後ろに回してるのさ?本当に何もやっていないなら正々堂々と…」

メメリーの言葉に驚いたのはパイロの方だった。「ええっ!リントの旦那がつまみ食いをやっていたっていうんですか…ってこれですか?」パイロはリントの背中を覗き込み、彼の左手に隠し持たれていたサンドイッチの欠片を拾い上げたが、パイロの掴んだパンはぼそぼそと崩れ、絨毯の上に散らばった。「ああっ済みません床をパン屑で汚してしまって…ってこれってパンなんですか?」

「ライ麦パンだろ」パイロの手首を掴んだままのリントが応えた。「ISO子ちゃんの地元ではポピュラーらしいけれど、JISタウンじゃ珍しいな。恐らく中庭で育てていた奴を使ったんじゃないの?」

「リントもパイロも話を逸らさないで頂戴」二人のやりとりにメメリーは我慢の限界を越えてしまった。「これはあなた達だけのパーティじゃないのよ、そんなに食べたかったら今から家に帰ってパンでもチーズでも焼いて食べてなさいよ、二人並んで馬鹿みたいな顔して」

「皆様落ち着いて下さい。料理を楽しむ前に、まずあちらにある取り皿と箸をお取り下さい」騒ぎを聞きつけた箇条書き太郎が、三人の中に割って入った。「料理を取るときは備え付けの取り箸やお玉をご利用下さい。取り皿には食べる分だけ少しずつ取って下さい」

「ということはもう食事に入っていいんですな?」リントの手を振り払ったパイロは、今度は箇条書き太郎の手を握りしめた。「その言葉を待っていたんですよ箇条書き太郎の旦那、それじゃ行って参りますよ」パイロは取り皿の積まれたテーブルへ向かって、一直線に駆けていった。

その様子を見ていたメメリーは複雑な心境だった。「ねえ、本当にいいの?こういうのは主催者が始めるというまで手を付けないんじゃないの?」

「それはそうですけれど。その主催者が3時過ぎになっても現れないのであれば、こちらとしても臨機応変に対応しないと、お客様に失礼になりますし」

箇条書き太郎の対応に、リントは直ちに反応した。「そういうことなら、お任せを!ようし、ここはこのリント・ニッシーがビシッ!と仕切ってみせるぞぉ」リントはホールに備え付けられた演壇へと向かっていった。


取り皿に盛った鮨をパイロが口に入れようとしたのと、ホール内にリントの声が響いたのは殆ど同時だった。「ええー、皆様、本日はお寒い中ご来場下さいまして、誠にありがとうございます」声の方向を求めて辺りを見回したパイロは、壇上でマイクを手にしたリントを発見した。

「ええー只今、箇条書き太郎君誕生会の主催者である、セイン・アイゾ様から連絡がありまして、入場されるのが少し遅れるそうであります」リントの司会は流れる様に進んだ。「そこで、このわたくし、リント・ニッシーが不肖ながら司会の代行を行いますこと、をご理解下さい。それでは、乾杯の音頭を、パイロ・ウメダ君にお願いします。皆様コップをお取り下さい」

来客達が慌ただしく飲み物を注ぎあう中、パイロは独り混乱に陥っていた。「なっ何であっしが!やっと物を食べられると思ったのに!」

「ご安心下さい、パイロ様のお皿はお持ちしますから。あとこのトマトジュースをお持ち下さい」箇条書き太郎の後押しを貰っては、もはやパイロに後戻りは出来なかった。「そ、そんなこと言われたって、何も話す準備なんてしてませんし」パイロの顔は猫の群に追いつめられた鼠の様に凹んでいった。

「別に難しいことは言わなくていいんです、手短に話して、最後に『乾杯』でしめて下されば」

「トホホ…何であっしがこんな目に…」パイロはうなだれながら演壇へ上がり、マイクの前に立った。


「ええー、皆さんこんばんは」全員の視線の集中に気付いたパイロは、早くも額から脂汗を流していた。「すっ済みません、まだ日は落ちてませんから、こんにちはでしたねっ。では改めて、皆さんこんにちは」

「落ち着いてパイロ、適当におめでたいこと言って『乾杯』でいいんだから」メメリーの声援は、パイロには逆効果だった。「そっそうだった、おめでたいことを言わなければならないんだった」パイロはマイクスタンドの前で直立不動のまま考え込んだ。

十数秒の沈黙の後、パイロは口を開いた。「そっ、それでは、おめでたいことをっ。鶴と、亀と、松と、竹と、梅と、桜と、金と、銀と、花火と、と、と、と、乾杯っ」殆どやけになったパイロは、乾杯と同時に、パイロはジュースの入ったマグカップを掲げたが、勢い余ってカップの中身を投げ飛ばし、それを頭から被る結果を引き起こした。

もうおしまいだ。完全に場を白けさせてしまった。しかも床まで汚してしまって、もうセインさんに合わせる顔が無い。ジュースで全身を赤く染めてしまったパイロだが、その顔は完全に真っ白になっていた。その時、ホールの入り口から明るい声が響き渡った。

「乾杯!」その声を聞いたパイロと入場者達の視線は一斉に入り口に集中した。そこで彼らが見たものは、レースをかけられたカートと、それを押すセインとバリッドの入場するところだった。「乾杯!リント君ももっとグラスを高く掲げて」二人はマグカップを掲げながら、来場者達に笑顔を振る舞った。

「わたくしがいない間のパーティを、混乱無く進行させて下さったことを感謝します」セインは壇上のパイロに一礼した後、彼の手を引いて近くの椅子まで誘導した。「本当にお疲れさまでした、ここから先はわたくしが司会を行います。どうぞおくつろぎ下さい」

その様子を見ていたメメリーは、隣のリントを肘で小突いた。「リントも行って来たら?本当に頑張ったのは僕だって」

「まあ、こういう日もあるさ。悔しいけどな…うおっ!」不意に足を滑らせたリントは、ジョッキの中身をこぼさない様努めたが、重心を大きく外れてしまった状況では、何をしようと結果は同じだった。「あいたたた…さっきのサンドイッチの中身を踏んだのか」俯せに倒れた上に、ビールを全身に浴びたリントの目の前には、肉汁を十分に蓄えていたであろうローストチキンが落ちていた。


ホールの窓から夕焼け空が見え始める頃には、料理も一通り片づき、来場者の歓談も盛り上がりを見せていた。その時、「ええー、それでは皆様」演壇に上がったセインは、手を叩いて来場者達の注意を集めた。「ご歓談中とは存じますが、これより、箇条書き太郎君への、誕生祝いの贈呈を行います。箇条書き太郎君、壇上へどうぞ」

来客達は、セインの指揮に従い、壇上で一列に並んで、箇条書き太郎にプレゼントを手渡していった。「これで庭仕事が捗るようになればいいんだけどな」と、リントが手渡したのは鉄製のスコップだった。「内職で作ったのを勝手に持ち出したのではないので、安心して受け取って下さい」パイロが手渡した針金細工の魚の置物には、来場者からも驚嘆の声が挙がった。「魚でかぶっちゃったけど、こっちはふわふわの柔らかさが売りなのよ」メメリーは、父の会社の新製品である、魚のぬいぐるみを手渡した。その後も来場者達のプレゼントが続き、箇条書き太郎はその一人一人に笑顔と握手で応えていった。

贈呈が一段落し、箇条書き太郎はマイクの前で一礼した。「ここまで盛大な誕生会で祝って下さるなんて、夢にも思いませんでした。この誕生会を主催して下さったセイン・アイゾさま、そしてご来場の皆様に感謝をしたいと思います。本当にありがとうございます」

では本日はここでお開きに、と言い出しそうになった箇条書き太郎を、演壇の下手からの声が遮った。「そして最後になりましたが」声の主は、レースのカートを演壇に上げるセインとバリッドだった。

「わたくしセイン・アイゾと」「バリッド・バリッドとの共同による」「誕生祝いを贈呈したいと思います」それと同時に二人は、掛けられていたレースを外した。そこに現れた1枚の板をバリッドは静かに手に取り、「それではお受け取り下さい」と、これ以上無い程丁寧に、箇条書き太郎へ手渡した。

「こ、これは…」箇条書き太郎は手渡された板を静かに見つめた。厚さ5ミリ、長さ20センチ、幅6センチ。その上半分は白、下半分は濃紺色と、樹脂製の素材を張り合わせた特殊な構造をしている。だが箇条書き太郎を驚かせたのは、その表面に描かれた文様だった。「て、篆書ではありませんか。まさかここに来て篆書を見られるとは」

「『テンショ』って、あの板のこと?」メメリーは箇条書き太郎の驚きように首を傾げた。「芋の仲間だろ、ほらあの線の絡み具合、『甘藷』とか『馬鈴薯』とかの根っこに似ていないか」篆書の意味を知らないリントは、駄洒落でごまかした。しかし、「あれはむしろ、壁に絡んでいる蔦の方に似ていませんか」パイロの指摘の前には、リントも黙るしかなかった。

「一応、成功といえるんじゃないかしら」プレゼントを手渡し終えたバリッドは、壇上で横のセインに声をかけた。「私の名札の上半分とISO子ちゃんの名札の下半分をくっつけて、あそこまで綺麗に仕上げるなんて。それに壊れる気配も無いし」

「あの様子、嬉しがっているというより、懐かしがっているみたいですよ」セインは箇条書き太郎の反応を静かに見つめていた。「以前あなたが言っていた通り、ウェブ時代の生き残りかも知れませんね。箇条書き太郎は」

その箇条書き太郎は、名札の表面を見ながら感慨にふけっていた。「本当に懐かしい限りです、母が縫って下さった刺繍を思い出します」箇条書き太郎の頬を、温かいものが流れ落ちたが、それは彼を我に返らせるきっかけにもなった。「いけませんいけません、ここで湿っぽくなってしまっては。本当にありがとうございます、セイン様、バリッド様、そして本日ここに来られた皆様」その挨拶と同時に、ホールに来場者達の拍手が鳴り響いた。港に押し寄せる波の様に、拍手の音はいつまでも続いた。


「いや今日は本当にやられたな」ビールで黄色く染まった法被を肩に担ぎながら、リントは屋敷の門へ続く道を歩いていた。「料理は作らせて貰えないわ、服は汚すわ、見せ場はことごとく取られるわ、なあパイロ君」

「なっ何であっしに振るんですかっ」横を歩くパイロも、ジュースで赤く染まった上着を脇に抱えている。「そもそもリントの旦那じゃないですか、勝手に演壇に上がったと思ったら、乾杯の音頭を人に押しつけて。あの時は演壇から転がり落ちるところだったんですからっ」

「でもあの状況で場を持たせるなんて、そうそう出来るものじゃないわよ」二人の少し後ろを歩くバリッドが応えた。「二人ともありがとう」

「まあ、色々あったけど、結果オーライといったところね。バリッドも食べる?」メメリーは、バスケットからチーズのタルトを取り出し、バリッドに手渡した。

「これってパーティで出てきたのじゃないの?本当に食いしん坊なんだから」

「でもつまみ食いはしなかったよ、前歩いている馬鹿二人みたく」

メメリーの言葉に、リントはすかさず反論した。「誰が馬鹿だって?あれはパーティを盛り上げる為の僕なりの演出であって、ちゃんと計算の上で行った訳で…ってこれは何だ?」メメリーの側へ向き直ったリントは、バスケットに手を入れ、中身の一つをつかみ取った。「そうか、今日はえらくケーキやタルトの類が少ないと思ったら…お前が隠していたのか!」

「パーティの余り物よ、お屋敷の人だけで食べきれる量じゃないし」

「でもメメリーさん一人で食べきれますかね?そんなバスケット一杯のお菓子を」始まりかけた口論に、パイロが口を挟んだ。

「家族で分けるから平気よ、それにタルトなら結構日持ちするから…あっ!」不意にバランスを崩したメメリーは道の脇の芝生に転がり落ち、バスケットの中の菓子を泥でぬかるんだ地面にばらまいた。「ああっ!ケーキが!タルトが!パイが!全部泥まみれに!」

「あなたが一番泥まみれでしょう?」バリッドはメメリーの手を取って起きあがるのを助け、ハンカチで顔の泥を拭ってあげた。「ちゃんと袋を貰って、それに入れておけば、お菓子を汚すこともなかったのに。それに、お屋敷の人たちだって食べたいと思っているんだから、持ち帰る量もほどほどにしないと」バリッドに言われてしまっては、メメリーも黙るしかなかった。「さあ、急ぎましょう。もうすぐ真っ暗になるわよ」

セインの屋敷に向けて陽が沈む中、正門を抜けた4人はそれぞれの家への路を歩き始めた。海の側の空では、星達が彼らの帰宅を見守るかのようにまたたいていた。


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この文書について

H-man AND NOW
作:Nishino Tatami (ainosato@vc-net.ne.jp)