( 初出: 2003年7月12日 / 完成: 2003年10月12日/ 修正: 2003年10月15日 )
褐色の厚い雲が太陽を奪ってから1ヶ月。瓦礫をも巻き上げる嵐は、残された人々にも容赦なく襲いかかっていた。飢えと呼吸困難に苦しむ人々は、地面に横たわる巨大な残骸を呆然と眺めていた。
かつて空を網籠の様に覆い尽くしていたそれは、彼らの文明の象徴でもあった。それが残らず地上に墜落した結果、真下の都市は全滅し、直撃を免れた地域も、後から訪れた衝撃波と津波で悉く塵と化した。偶然にも網の最も広い隙間の中にあったこの地域も、食糧不足と、森林破壊による酸素不足が深刻となっていた。
嵐の中、目を凝らしていた一人が悲鳴を上げた。残骸の向こうに、玉虫色に輝く巨人を認めたからだった。その巨人こそ、空を破壊し尽くし、地上を死に至らしめた存在だった。全てを破壊してなお動きを止めぬそれは、十数日ぶりの人間の臭いに全身を電光掲示板の様に輝かせ、地響きと共にその方角へと突き進んだ。
巨人の接近は洞穴に隠れていた人々にも伝えられた。疲れ果て、声を上げる力をも失った人々に出来ることは、最期の時を静かに待つことだけだった。そんな中、一人の少年が洞穴を抜け出していった。誰からも気にとめられることなく、洞穴を出た彼が最初に見たものは、金色に輝く巨人の姿だった。しかしその直後、彼の視線は、巨人の頭上で金色の羽根を羽ばたかせている一人の少女に向けられていた。彼女は自分の体の数十倍の身長を持つ巨人をゆっくりと引っ張り上げ、暗雲に向けて投げ飛ばした。巨人の体が雲の中へ消えると同時に、鈴の音と共に金色の光の粒が空全体を覆い、地上を太陽の百万倍の明るさで照らした。
やがて光は収まったが、以前まで吹きすさんでいた嵐は止み、空を覆っていた雲は陽光の柱を通すようになっていた。少年は巨人と対峙していた金色の少女を捜したが、その行方を辿ることは遂に出来なかった。
「…様、…ィア様」何かが肩を叩く感触で目を覚ましたバリッド・バリッドは、寝台の中でゆっくりと上体を起こした。
「急にどうしたのチディベア、まだ朝日も出ていないのに」
「はい。ですから起こしに参ったのであります、バリティア様」枕元に立つ青色の物体が応えた。『チディベア』と呼ばれたそれは、球状の胴体に目と耳の付いた球状の頭と、円筒状の手足を繋げた形をしており、、傍目からは単なる縫いぐるみの様にしか見えないものだった。しかしチディベアは自ら動き、話す能力を備えており、バリッドにとって良い話し相手でもあった。
「もう、その呼び方は止めてくれないかしら」バリッドはチディベアを抱きかかえ、膝の上に乗せた。「留学先では、私は『バリッド・バリッド』ということになっているのだから。それより何故こんな時間に?」
「はい、間もなく目的地であるJISタウンに到着するからであります」
「間もなくって、まだ3時半じゃない」バリッドは枕元の目覚ましを手に取った。「JISタウン到着は4時じゃないの?」
「よくご存じで」チディベアは短い手をバリッドの手にかざした。「ですからあと30分で着替えと荷物の整理を」
「4時は4時でも午前の方だったなんて」バリッドは額を押さえながら枕の上に倒れ込んだ。「何でそれをもっと早く…!」
「それで夜遅くまで本を読んでいらっしゃったのですね」バリッドの膝元の本に気付いたチディベアは本の背表紙を覗き込んだ「これもまた『W3Cの伝説』ですか、相当気に入っていらっしゃるのですね」
「『W3Cランドに古くから伝わる物語の新たなる解釈』というので読んでみたのだけれど」本を手に取ったバリッドは、栞の位置を直しながら応えた。「『ウェブ落とし』の描写が生々しくて、夢に出てくる程だったのよ。私にはちょっと」
「好みというのは人それぞれですから…っと」シーツの下に包まれたチディベアは一瞬息を詰まらせた。「くっ苦しいです、バリティ…いやバリッド様」
「少しの辛抱よ、着替えが終わったらすぐ出してあげるから」トランクから着替えのワンピースを取り出しながら、バリッドは応えた。
「そんな、見られたからって減るものでもあるまいし」
「一度視線が気になると、元には戻れないのよ」
身支度を済ませたバリッドはチディベアを連れてデッキへ上がった。
「もう見えていますね、JISタウンが」
「目がいいのね、チディベアは」暗闇の中で目を凝らしていたバリッドは、暫くして小さな光の点を見出した。「あれは港の灯火かしら」
「真夜中ですからね」
「それにしては暗いのではないかしら」
「小さい街ですからね、W3Cランドと比べて…っと」バリッドの腕に掴まっていたチディベアは手を滑らせ、体勢を崩したが、辛うじて服の袖にぶら下がって持ち直した。「街の構造にも独自のものが…ってバリティ、じゃなかったバリッド様お助けを」
港へ入った船は、タグボートの力を借りて接岸し、錨を下ろした。バリッドも十数人ほどの旅客と共に桟橋を渡り、入国審査所へと向かった。
「ふう、一週間ぶりの陸地はほっとしますなバリッド様」
「静かになさい、ここでは単なる縫いぐるみとして行動してもらわないと」バリッドはチディベアの頭を小突きながら、ポシェットからパスポートを取り出し、入国審査の係員に見せた。「あっ済みません、ちょっと蝶が飛んでいるような気がしたので」
「今の時期は蛾が多いですからね」パスポートの中を調べながら、係員は応えた。「バリッド・バリッド、W3Cランド出身、ですか。留学かホームステイかですか?」
「はい、ここで一年ほど勉強しながら暮らすことになったのです」
「JISタウンは小さいけれど、食事も美味しいし、住み心地も良いから、きっと良い勉強が出来ますよ。はい、パスポートをお返しします」
係員からパスポートを受け取ったバリッドは、ポシェットを開きながら小さく礼をした。「ありがとうございます、出口はどちらでしょうか」
「この通路を抜けると待合所に出るから、そこから出られるけど、どちらの方に向かうんです?」
「ボホーメン18番地というところなんですけど」
「ここからだとちょっと遠いなぁ、バスの始発は6時だから、それまで待合所で休んでおくと良いと思いますよ」
「ありがとうございます」もう一度小さく礼をしたバリッドは待合所へ続く通路へと向かった。
「結局4時に着く理由って何だったのかしら」待合所のベンチに腰掛けたバリッドは、チディベアを抱きかかえたまま天井を見上げた。「せめて6時ぐらいに着くようにして欲しかったわ」
「荷物の積み卸しがあるからではないですかね」周りに人影の無いことを確かめながらチディベアは小声で応えた。「それに出航時刻をあれ以上遅らせることが出来ないというのもあるでしょうね。6時にここに着くには出航も真夜中にしないと」
「何も直行でなくとも、途中の島か何かに寄っていって、時間調整ぐらいしてもいいのに」バリッドは出口の上にかけられた時計に、半開きの視線を移した。「まだ4時半にもなっていないのか…だからといって眠るには中途半端な時間だし」
「安心して下さい、私が付いております」チディベアはバリッドの腕の中で胸を張った。「5分前、いや10分前になったら起こしますから、それまでゆっくりお休み下さいませ」
それはいいのだけれど、と言おうとしたバリッドだが、既に眠気は限界に達していた。何を言おうとしたのか、思い出すことも面倒になったバリッドは、そのまま眠りに入るべく目を閉じた。けたたましい金属音がバリッドをたたき起こしたのは、その直後だった。
「な、何の音?」音の方向を見ると、一人の小柄な少年が脚立を引きずりながら待合所に入るところだった。少年は出入口の前でペンキ缶を降ろし、脚立を広げはじめた。
「あの、ここで一体何をしているのですか?」ベンチから立ったバリッドは、脚立に登ろうとする少年に訊ねた。
「ややっ、寝ている人がいるとは気付かず失礼をば」少年はすまなさそうに脚立から降りた。「訳あって、この時間からやらないと駄目なんで」
バリッドはふと、出入口の上の壁に目を向けた。壁には罫線の彫られた看板がかけられていたが、文字らしきものは何も書かれていなかった。
「もしかして、時刻表ですか?」
「よく気付きましたな」再び脚立に上がった少年は、耳にかけていた筆を手に取った。「何度書いても、すぐ文字が消えてしまって、乗客が迷惑しているんで。ペンキで書いているから、そう簡単には落ちない筈なんだですがね」
「潮風とか、日差しの影響とかではないのですか?」
「誰かのいたずらだと思うんですがね、どういう仕掛けを使ったのかは分からないけど。まあこのお陰で、あっしの仕事も増えて、多少は生活も楽にはなっているんですがね」
「はぁ、いたずらですか…」再びベンチに腰を下ろしたバリッドは、タイツのたるみを直しながら振り向いた。「ところで、その作業、すぐ終わるのですか?」
「6時前には終わりますわ。あっしも出来るだけ静かにする様企業努力を」
結局バリッドは彼の作業の間中眠らずに過ごしてしまった。音が気になったからではなく、彼の作業の危なっかしさを見かねて、手伝いに行ってしまったからだった。脚立の上でよろけそうになる彼を支えたり、手から滑り落ちそうなペンキ缶を代わりに持ってあげたりと、バリッドは眠さも忘れて作業を手伝った。そのお陰で、5時半少し前にはほぼ全ての時刻表が完成していた。
「いや本当に申し訳ない、旅のお方にこんな手伝いをさせてしまいまして」少年が脚立を畳んでペンキ缶を持ち上げたその時だった。
「全くだパイロ・ウメダ君」野太い声と共に、長身の男が待合所に入り込んできた。「賃金の半分はその子に払ってやれよ」
「のっのぞき見していたんですかリントの旦那っ」パイロ・ウメダと呼ばれた少年はよろけて尻餅をつき、脚立で頭を打った。「あ痛たたたっ、旅のお嬢さんは大丈夫ですか?」
「貴様の目は節穴か?」リントと呼ばれた男はパイロの首にかかった脚立を持ち、助け起こした。「その子は今回我々の学校に留学生としていらっしゃる、バリッド・バリッド嬢だ。今日船で来るから、始発のバスが出る6時になったら皆で迎えに行こうって前から言ってただろ?」
「そ、そりゃあ聞いていましたけど」パイロはリントから脚立を受け取り、壁に立てかけた。「6時は6時でも夕方の6時と思っていたので」
「あの、お二人はお友達か何かで?」二人のやりとりを聞いていたバリッドは、カチューシャを直しながら訊ねた。
「おっと長々と失礼しました」リントはバリッドの前でうやうやしく礼をした。「リント・ニッシーと申します。こちらのパイロ・ウメダとは入学以来の仲でして」
「バリッド・バリッドといいます。よろしくパイロ君、リント君」バリッドは最初の挨拶を交わしながら、二人に順々に握手をした。「こんな朝だから誰かが迎えに来るなんて思ってもいなかったので」
「パイロ・ウメダと申します。先程はとんだ失礼をば」その直後、出入り口の方角から甲冑の騎士の行進の様な音が飛び込んだ。「おおっ、この音はまさか」
「始発のバスが来た様だな。それではバリッド嬢、こちらへどうぞ…って荷物があったか」
「そんな多くはないけれど」バリッドはチディベアとトランクをベンチの下から取り出しながら応えた。
待合所を出たバリッド達が最初に見たものは、小さなバスから降りてくる二人の少女だった。
「結局来たのはISO子ちゃんとメメリーだけか…お早うお二人さん」リントは右手を挙げながら二人の前に駆け寄った。
「別にあんたの為に来たんじゃないのよ?」背の低い方の少女がタルトをくわえながら応えたが、そのタルトを背の高い方の少女が取り上げた。「ちょっとセイン!まだ朝ごはんも済ませていないのに」
「行儀が悪いではないではないですか、主賓の前で」背の高い少女は取り上げたタルトを一口で飲み込んだ後、バリッド達の方に向き直った。「ようこそいらっしゃいました。セイン・アイゾといいます」
「バリッド・バリッドです、宜しく」バリッドが差し出した手に対し、セインは手の甲へのキスで応えた。「あ、握手のつもりだったのだけど」
「そうでしたか、地元ではこの挨拶が主流だったので。そちらの二人との挨拶はお済みで?」
「ええ、パイロ・ウメダ君とリント・ニッシー君ですね。そちらは?」
「メメリー・ミッカーだよ」バスケットの少女は両結びの髪を指で巻きながら応えた。「本当はプレスクールの生徒なんだけど、セインとは親友でね」
「それにしても、こんなに出迎えてくれるなんて」バリッドはワンピースの裾を直しながら、出迎えに来た4人を見回した。「朝一番のバスでフラットへ行って休もうと思ったのに」
「船旅だとなかなか疲れはとれませんものね」セインはバリッドの肩を軽く揉みながら、バスの側を振り返った。「折角ですからバリッドさんの家までお送りしましょう、家はどちらの方でしょう?」
「ボホーメン18番地っていうところなんだけど」
「それならこのバスが丁度ボホーメン18番地を通るので」それに乗りましょう、とセインが続けようとしたところで、スピーカーからバスの出発のアナウンスが流れた。「丁度時間ですね、それでは乗り込みましょう」
バリッド達を乗せたバスは6時丁度に停留所を出発した。金属音を響かせながら走るバスはバリッドの想像よりも速く、安定した動きを見せた。
「8本足のムカデみたいな形だから、もっと揺れると思っていたのに」チディベアを抱きかかえるバリッドは、セインの座る右側を向いた。
「道路が石畳ですからね、丸い車輪よりもこちらの方が乗り心地も速さも良いのですよ」
「何だかぜんまいの玩具みたいね」
「ええ、実際ぜんまいで動いていますし」セインは左手の側に見える川を指差しながら応えた。「あの川の上流で取れる特別な金属を、ぜんまいや乗り物の足に使っているのです」
「バスを動かすほど力の強いぜんまいなんて」セインの指差した川の流れを見ていたバリッドは、対岸に十数基ほどの水車の列を見付けた。「あの水車は、発電所か何か?」
「それもありますけどね、主にぜんまいを巻くのに使っているのですよ。もともとぜんまいを作るようになったのも、冬に使えなくなる水力を有効に使うために」
「ところでさ」前の席に座っていたメメリーは、バリッドの席の側に身を乗り出し、チディベアを指差した。「その変な布袋、何?」
「『クマ』っていう動物の話は知っているかしら?」
「聞いたことはありますな、確か『マサカリ・キンタロン』ていう人が乗り物として使っていた」答えたのはバリッドの真後ろのパイロだった。「でも架空の生き物だと思っていたんですが」
「実在していたとも言われているのだけれどもね」バリッドはチディベアを網棚へ入れながら応えた。「これは『チディベア』といって、その『クマ』という動物をモデルにした縫いぐるみなのよ」
「私のパパもね、縫いぐるみ作りをやってるんだよ」メメリーは少し得意げに親指で自分を指した。
「職人さん?」
「と思うでしょ?それがね、工場を指揮して縫いぐるみの量産をやっているんだよ。パパはその会社の社長なんだ」
「でも何でわざわざ縫いぐるみを抱えて来たんだ?」パイロの横のリントが網棚を見上げながら訊ねた。「縫いぐるみの一つや二つ、引越し用の荷物の中にまとめて送れば良かったんじゃないの?」
「船の寝台だとなかなか寝付けないでしょう?だから、いつも枕元に置いている縫いぐるみを使って、少しでも寝付きを良くしようと思って」
「確かに抱き枕があると寝付きも良くなるしなあ」リントは大げさに腕を組みながら頷いた。「でもそれなら枕を持って行くなあ、僕は」
「枕を引きずってゆく方が変に思えますがね」パイロはペンキ缶を脚で隅に寄せながら辺りを見回した。「そろそろ街の中に入りますな、揺れるので気を付けた方が良いですよ」
街の中へ入ったバスは石畳で出来た細い道をゆっくりと進んでいった。その様子は道を進むというよりむしろ、建物の間を縫って進むといった方が適切だった。
「こんな狭い道をバスが通るなんて」バリッドはすぐ目の前を流れる建物の壁に目を見張った。「これってやっぱり、建物を造るのが先だったの?」
「そうですね、建物や農地など、生活の為の場所を確保するのが最優先で、道のことを考えるのは後回しだったみたいですよ」揺れる車内で、セインはスカートを押さえながら応えた。「別の車とすれ違うみたいですね、手すりに掴まった方が良いですよ」
前進を止めたバスはゆっくりと真横に動き出し、左の壁ぎりぎりまで寄った。右の窓からは、自家用車のものと思われる小さな屋根が通り過ぎるのが見えた。
「あの車、野菜を運んでいたように見えるけれど」
「街の中にある共同農場のものだな」応えたのは窓から身を乗り出したリントだった。「農場だけでなく、牧場や工場、市場などもこの街の中のあちこちにあって、長距離輸送をしなくても済むようになっているんだな」
「ところで、降りるときはどうするのかしら?」バリッドが訊ねた直後、運転手がマイクを取り、車内へのアナウンスを始めた。
「ええー、本日はJISタウンバスをご利用下さいまして、ありがとうございます。このバスは、サトミカーン経由イソガオカ行きです」
「『イソガオカ』って遠いの?」
「街の外れにある小高い丘で、私の家もそこにあるのです」少しだけ腰を上げたセインが応えた。「でも今『サトミカーン経由』と言いませんでしたか?運転手は」
「いつもならボホーメン経由なんだけどな」メメリーは立ち上がり、手すりに掴まりながら運転手席に近づいた。「ちょっと運転手さん?このバス、ボホーメンを経由するんじゃなかったの?」
「いつもはそうなんですが、ボホーメンの辺りで牛が逃げて暴れているらしくて」初老の運転手は運転帽を直しながら応えた。「イソガオカ行きのバスは全部サトミカーン経由になっているんですよ」
「参りましたな、ボホーメンとサトミカーンって、東と西とでかなり離れているんで」パイロは頭を押さえながらかがみ込んだが、前の背もたれに頭をぶつけ、慌ててのけぞった。「あ痛たたた、眼鏡のレンズが外れてしまって」
「でも確かボホーメン18番地へ行きたかったのでしたよね?」セインはバリッドに念を押した。「そこならイソガオカから歩いて10分ほどですから、ひとまず終点まで乗って行きましょう」
小一時間ほどして、バスは狭い街を抜け、小高い丘の見える開けた場所へ出た。小さな家に囲まれた丘の頂上には、鈍色の柵で守られた巨大な建造物が覆い被さっていた。
「あれが私の家ですよ」セインは丘の建物を指差した。「大昔にあった戦争の時代に、要塞として作られたものらしいです」
「そういった建物は、他にも沢山あるのかしら?」バリッドは丘の麓にある建物を見回した。
「そうですね、街の中にも、戦争の時代に作られたとみられる建物がいくつか、っと」セインは少し急なバスの停止を受け、前の背もたれに手をついた。「どうやら終点に着いた様ですね」
「終点イソガオカに到着しました。お降りの際は忘れ物の無いようお気をつけ下さい」運転手は運転帽を脱ぎながらマイクで車内へアナウンスした。「本日はお客様にご迷惑をかけたことをお詫びします」
席を立ったバリッドは、降り口の脇に停留所の柱らしいものが立てられているのを見出した。その柱にバリッドはふと違和感を覚えたが、暫くしてその原因に気付いた。
(何か変だと思ったら…あの柱、停留所の名前も、発車時間も書かれていない。もともとそういうものなのかしら)
バスから降りた五人は、小さな中通りから街の中へと入っていった。
「ええと、この通りをまっすぐ行くとボホーメンなんだけど」バスケットから取り出した地図を片手に、メメリーは辺りを見回した。「ねえバリッド、家はボホーメン18番地って言ってたよね?号数とか局数とか分かる?」
「局数?」
「住所をより細かく指定したものだよ。それによって行き方が変わるんだけど」
「ええと、ボホーメン18番地6号20局、フラット・オハギーノという所だけど」
「18番地6号20局ということは…ここをもう少し行けば大通りに出るから、そこを右に曲がると、うげっ!」地図を見ながら歩いていたメメリーはバリケードらしき柱にぶつかり、その場に尻餅をついた。「な、何?行き止まりなの?」
「お嬢さん達はそこから入らないで」大柄な青年がバリケードの奥から現れ、五人を制止した。「牛が全部捕まるまでは通行止めです、迂回して下さい」
青年の奥では、小太りの男が担架で運ばれていた。脚を折られたらしいその男は、包帯で固められた太股を押さえながら苦痛に唸っていた。
「どうやら牛にはね飛ばされて脚を折った様だな」後ろを見返っていた青年は身震いしながら五人の前に向き直った。「という訳です、大人でもあれ程の大怪我をするのですから、君たちなら尚更」
「メメリー、迂回の仕方は分かるか?」リントは落ち着きなく辺りを見回しながら訊ねた。
「少し戻って、あの定食屋を左に曲がれば大通りを避けて行けるんだけど」
「でもその辺りは袋小路が多くて、迷うとなかなか戻れないんではないですかね?」訊ねるパイロの手は小刻みに震え、缶の中のペンキを溢れさせていた。
「大丈夫だって、私はこう見えても方向感覚鋭いんだから」
30分後、五人は袋小路の固まった住宅街から出られず、右往左往していた。
「メメリーの方向感覚も、今回はうまく働かなかった様ですね」
「セイン、それって嫌味?」地図をバスケットにしまったメメリーは、ビスケットを3枚纏めて口の中へ放り込んだ。「このどこかに大通りを抜けてゆける道があるのは間違いないんだから」
虫の鳴く様な音が袋小路に響いたのは、その直後だった。音に驚いて辺りを見回したメメリーは、鳩尾を押さえるバリッドに気付いた。
「それより少し休みませんか?朝食を摂っていない体で歩き続けるのはさすがに」壁にもたれかかったバリッドは、少しうつむきながら目を閉じた。「さっきの定食屋は結構良さそうだったのだけれど」
「ここからもう少し行けば、個人経営の店が並ぶ通りがあるのですけれどね」メメリーからバスケットをかすめ取ったセインは、中から地図を取りだし、バリッドの口に近づけた。「ひとまずこれを…っと、地図だったか」
「山羊の様に紙を食べることが出来るなら、それでも良かったのだけれど」バリッドは改めて差し出されたショートケーキを手に取り、一口頬張った。「うん、木苺のお陰で少し眠気も取れてきたわ」
「よりによって最後の楽しみに取っておいたやつじゃないの、それ」メメリーはバスケットをセインから取り返し、中を覗いた。「全く、後で立て替えといてよセイン」
「それよりさっきより騒ぎが大きくなっていないか?」リントは壁の向こうの音に耳を傾けた。「たかが牛を捕まえるのに何を手こずっているんだか」
「2〜3頭まとめて逃げ出したんではないですかね」壁によじ登り、反対側の通りの様子を覗いていたパイロは足を滑らせ、石畳の上に尻餅をついた。「あ痛たたたっ、でもペンキ缶に落ちるよりはましでしたか」
「バリッドは歩けますか?」うつむいたままのバリッドにセインは顔を近づけながら訊ねた。「それとももう少し休みますか?」
「うん、少し元気が出てきたから」壁から起きあがったバリッドは軽く背伸びをしながらメメリーの側を向いた。「ありがとう、メメリー」
袋小路を抜け、十字路に出た五人は、鉄板を抱えた8人ほどの男達に制止された。
「まだ牛が捕まらないのですか?」男達の一人にセインは訊ねた。
「ええ、10頭ぐらいいますからね」背の高い男が鉄板を支えながら応えた。「バリケードもあちこち突破されて、なかなか追いつめられないんです」
「じ、10頭って」急に青くなったリントは頭を抱えた。「10頭まとめて来られたらひとたまりも無いぞ」
「1頭ずつに分断して、捕まえやすくしているんだがね」リントに応えていた小太りの男は急に振り向き、鉄板を構えた。「早速来た様だな、しかし」
男達の眼前には、3頭もの黒い牛が土埃を巻き上げながら突進を続けていた。3頭の鋭い角に絡みつく縄や網の残骸が、捕獲の困難さを示していた。
「さ、3頭まとめてなんて聞いていないぞ」震え上がるリントは、突然鳴り響いたノイズに飛び上がった。黒縁の眼鏡の男が持つ無線機の音だった。
『こちらヘッダン、ボホーメン18番地にて7頭目を捕獲しました。残り3頭の姿は見えますか?どうぞ』
「こちらランドロン、その3頭が今迫っています。これより捕獲します。どうぞ」眼鏡の男は無線機に向けて話した後、バリッド達の側を少し振り向いた。「ここは危険ですから離れて下さい」
「でも向こうは袋小路なのでしょう?」後ろに続く道を指差しながらバリッドが訊ねた。
「ですから、ここで我々がくい止めるんです。最低でも1頭捕らえて2頭を反対側に逃がせば」男は次第に大きくなる地鳴りの側に向き直った。「遂に来たか」
3頭の牛は猛然と鉄板に体当たりし、男達を押し飛ばそうとした。最初の一撃を堪えた男達は鉄板で牛を押さえながら縄で角を縛りに入った。
「それにしても何でこうもまた暴れたがるんだ、この牛たちは」背の高い男は鉄板を必死で押さえながら唸った。「ランドロン、脚を縛るんだ。そうすれば引き倒して動きを止められる」
ランドロンと呼ばれた眼鏡の男は牛たちの後ろへ回り込み、激しく暴れ続ける脚に向けて縄をかけはじめた。男は一頭の牛が脚を上げた隙を狙って縄をかけ、脚を縛った。残りの男達がかけ声と共に角と脚を縛る縄を引くと、牛は横に引き倒され、地面をのたうち回った。
「よくやった、あと2頭だ」残りの牛の体当たりを鉄板で防ぎながら、背の高い男は指示を出した。「こいつらは大分疲れてきている様だ、この調子で」
男が押さえていた鉄板が轟音と共に突き破られたのはその時だった。バランスを大きく崩した男は牛の角と脚を避けるために道の端の転がり込むのがやっとだった。
「あと少しだったのに」「向こうには子供達がいるんだぞ」「せめて反対方向に」残りの男達は角にかかった縄を必死で引き、辛うじて1頭を引き倒すことに成功した。しかし残りの一頭を捕らえていた縄は既に限界に達していた。
最後の牛はここぞとばかりに力を出し、遂に縄を引きちぎってしまった。体の自由を取り戻した牛は、加速を付けてバリッド達へと突進していった。
「だあっ!牛が襲ってくる!」真っ先に悲鳴を上げたのはリントだった。「あんなのに轢かれたらひとたまりもないぞ!」
「リント!逃げるならこれをお持ちなさい」セインは真先に逃げようとするリントの手を取り、バリッドのトランクを持たせた。「留学生が一緒だということを忘れないで」
「その布袋は私が持とうか?」
「ありがとうメメリー、でもこれは軽いから」チディベアを左脇に抱えたバリッドは牛の迫るのと反対方向の通りを見渡した。「それよりここからどうやって逃げれば良いの?」
「突き当たりを左に曲がると、さっき話した個人経営の店が並ぶ通りに出ます。そこで店の人にかくまって貰えれば」セインは迫り来る牛を振り返りながらバリッド達を手招いた。「私に付いてきて下さい」
バリッド達は後ろから迫る牛の地響きと鼻息に追い立てられる様に、狭い通りを走り抜けていった。セインの話した通り、突き当たりを曲がると、個人経営の雑貨店や食堂が軒を連ねていた。しかしその多くは準備中の看板を立てかけたまま、扉と閉ざしていた。
「お願いです、助けて下さい」一気に加速をつけたセインは店の中を覗きながら助けを求めていたが、急に強い力で横から抱きかかえられ、気を失いかけた。「ご免なさいね、よそ見をしながら走っていては」
「こちらこそ済まないね、急に扉を開けたりして」セインを抱きかかえたのは、扉を開けた店主の女性だった。「牛に追われているのかい?」
「ええ、私の他にあと4人います」セインは後に続くバリッド達に向けて手を振った。「皆さんこっちへ。店に入って下さい」
「何とか逃げ切れそうですな」セインの声を聞いたパイロは、手で額の汗を拭いながら後ろを向いた。「バリッドさんも早く」
「皆速いわよ、もう少し待って」他の4人から大きく離されたバリッドは、疲れのあまり一瞬脚を止めたが、地響きと共に迫る牛の鼻息に慌てて再び走り出した。「でも、あの扉までたどり着ければ…」
一方、セインを受け入れた店にはリントとパイロ、そしてメメリーが一足先に飛び込んでいた。セイン達は入り口を覗き込みながら、バリッドの入店を固唾をのんで待った。
「バリッド!あと一息です」セインは入り口から身を乗り出し、バリッドに向けて手を挙げた。「この店に入って下さい」
「そのつもりだけど!」バリッドは勢いよく店の入り口に飛び込もうとした。しかし疲労の限界に達した脚での速度調節に失敗し、バリッドは入り口を大きく通り過ぎてしまった。
「バリッド、戻って!今なら」メメリーは店の窓からバリッドに向けて叫んだが、その横を牛が勢いよく駆け抜けてゆくのを見て、全てが手遅れになってしまったことを理解した。「間に合わなかった…!」
「な、何てこった」リントは扉を閉ざされた店の中で頭を抱えながらのたうち回った。「留学初日に牛に轢かれて死んじゃうなんて」
「でも、これはチャンスかも知れませんよ」パイロはペンキ缶の中身を確かめながら応えた。「今から追っていけば挟み撃ち状態ですから、あっしらでバリッドさんを助け出せるかも知れません」
「その必要は無さそうだよ」メメリーは窓の外を駆け抜ける男達を指差した。「さっきの人達に任せた方が良いんじゃないの?」
「でも気になりませんか?バリッドさんのこと」立ち上がったセインはゆっくりと扉を開けた。「あの人達はまだ向こうにバリッドさんがいることに気付いていない筈です。それを知らせないと」
牛から逃げ続けるバリッドは、わずかな希望を賭けて突き当たりの小道を曲がった。だがそこに待ち構えていたのは、最悪の結末だった。
「い、行き止まり…」長さにして10メートル程度の袋小路の前に、バリッドは呆然と立ちつくした。「それに、逃げ込めそうな扉も窓も無い…」
バリッドを追う牛がうなり声を上げたのはその直後だった。反射的に袋小路へと走り込んだバリッドは、勢い余って行き止まりの壁にぶつかり、きりもみをしながら倒れ込んだ。
「もう、駄目か…」壁を背にふらふらと立ち上がったバリッドが見たものは、突き当たりの前でゆっくりと体勢と整える牛の姿だった。その直後、牛は鋭く輝く角を突き立てながらバリッドに向かって突進した。
店を出たセイン達は男達を追って走り出した。
「いくら助けてくれたからって、わざわざ買い物なんてしなくてもいいじゃないのさ?」メメリーはリントの右手に提げられている熊手に目をやった。
「相手は牛なんだから、武器持ってないと危ないじゃないか」
「武器って、熊手でどうするんですかね」パイロはペンキ缶の蓋を直しながら訊ねた。
「そうだ、お前ペンキ持っていたんだったな」パイロのペンキ缶に気付いたリントは、彼のポケットに挿された刷毛を一つ取り上げた。「いざという時は牛に向けてそいつをぶっかけるんだ。目くらましになるぞ」
「あの突き当たりの向こうみたいですよ」突き当たりにさしかかったセインは、奥での男達の騒ぎに気付いた。「争っている様子ではなさそうですけれど」
突き当たりを曲がり、袋小路に入った4人が見たものは、行き止まりの前で騒ぎ立てる男達の姿だった。
「一体どういうことだ」「信じられない」「あんな暴れていたのに」男達のどよめく中、セインは彼らの中へ分け入った。
「失礼します、一体どうしたのですか?」男達の間から奥を覗いたセインが見たものは、前足をかがめ、喉を鳴らす牛と、その頭を優しく撫でるバリッドの姿だった。
「よしよし、もう恐いことはありませんからね」牛に優しく語りかけるバリッドは、男達の側へと向いた。「私は大丈夫です。それより牛さんの方を」
「本当に、もう暴れたりしないのか?」男達の一人が恐る恐る牛に近づきながら訊ねた。
「ええ、この牛さん、ちょっと寂しかったみたいで」ゆっくりと立ち上がったバリッドは、牛の肩を抱きながら男達の側へと向かった。「さあ、帰りましょう。お家に帰ったら、家族や友達が待っていますよ」
男達は牛の首輪に縄を取り付け、牛と共に帰路へと向かった。袋小路には呆然と立ちつくすセイン達の姿が残った。
「心配かけて済みませんでした」バリッドは手を振りながらセイン達に駆け寄った。「私は見ての通り大丈夫です」
「本当に、怪我は無いのですね?」バリッドを抱き寄せたセインが訊ねた。
「ええ、私を見たら、あの牛さん、急に大人しくなって…」言葉の途中でバリッドの意識は急に遠ざかった。バリッドはセインの前でゆっくりと崩れ、その場に倒れ込んだ。
「全然大丈夫じゃないじゃないか!」倒れるバリッドを見たリントは飛び上がり、慌てて駆け寄った。「腹を刺されたとか、胸の骨が折れたとかなんてこと、無いよな?」
「疲れと緊張のせいですよ」バリッドの体をゆっくりと抱きかかえながら、セインは応えた。「さっきの店の人に頼んで、休ませてあげましょう」
バリッドを助け出したセイン達は先程かくまわれた店に戻り、部屋のベッドを借りた。バリッドはベッドの上でゆっくり休み、粥を食べ、医師の診察を受けた。幸いこれといった外傷は無く、疲労と緊張による一時的な貧血と診断された。結局日中を殆どベッドの上で過ごしたバリッドが目的地であるフラット・オハギーノに辿り着いたのは、夕方の5時を少し回った頃だった。
「御免下さい」バリッドはフラットの玄関のベルを鳴らしながら扉に向かって声を上げた。「今日からここにお世話になるバリッド・バリッドといいます」
暫くして扉が開き、割烹着姿の若い女性が姿を現した。
「貴方がバリッドさん?」バリッドの姿を認めた女性は扉を開ききり、軽く礼をした。「私がこのフラットの管理人の、キネコ・シーよ。よろしくね」
「今日は遅くなって済みません、4時に着いたのですが色々あって」
「この時間は夕市で車も多いから、バスもなかなか進めないのよね」
「いえ、4時は4時でも朝の4時だったのです」バリッドはトランクを持ち上げながら応えた。「朝一番のバスで行こうとしたら、牛が逃げ出した騒ぎがあって」
「今の時期は牛も気が立ってしまいがちだからね」トランクを手に取ったキネコは、バリッドをフラットの中へ招き入れ、扉を閉じた。「長い船旅で疲れたでしょう?ベッドはもう出来ているから、食事が出来るまでゆっくりお休みなさい」
「ありがとうございます、部屋はどちらですか?」
「バリッドさんの部屋は101号室だから、玄関入ってすぐのところよ」キネコは割烹着のポケットから鍵を取りだし、バリッドに手渡した。「あと部屋の鍵はこれよ。無くさないように気を付けてね」
その晩、食事と入浴を終え、浴衣に着替えたバリッドは、ベッドの上に腰掛けながら一日の出来事を思い出していた。
「今日は大変だったけれど、友達も沢山できて良かったな。パイロ君、リント君、メメリーに、ISO子ちゃん…ISO子ちゃん?」『ISO子ちゃん』の本名が思い出せないバリッドは、暫く額を押さえながら考え込んだ。「な、何で本名が出ないのだろう?」
「『セイン・アイゾ』様ですよ、姫さま」枕元に座らされていたチディベアは立ち上がり、バリッドの横へと歩み寄った。「それより姫さま、一つ言っておきたいことが。JISタウン内での『マークアップ』は慎み下さいませ」
「『マークアップ』って、牛に追われていたときのこと?」
「私は見ましたよ、額から『アンテナ』を出して、光った手を牛の額にかざしたでしょう。確かにそのお陰で暴れ牛の気も鎮まり、私たちは命拾いをしたのですが」
「それは、緊急事態なのだから、やむを得ないことでしょう?」
「W3Cランドと違って、JISタウンには『マークアップ』の出来る人は全く存在しないのですぞ」チディベアはバリッドの膝の上に乗り、手を大きく振り回した。「『マークアップ』を見られたら、市民が混乱に陥る危険が高いのです。今度同じことをやったら留学は中止、強制帰国となることをお覚悟下さい」
「それを言うなら、そもそも『お忍び留学』というしきたり自体おかしいのよね」バリッドはチディベアを抱きかかえながら反論した。「お父様の時代と違って、今は情報の伝わりが早いから、身分を隠して留学なんてやっても、そうそう隠し通せるものではないのよ。やはりW3Cランド第1王女バリティア・バリデータ・バリトゥスとして、公式に留学を宣言した方が」
「それでは政府関係者や報道との対応に追われて、一般市民との交流が出来なくなってしまいます」
「そうならない様にしきたりを作り直す必要があるのではないかしら?」ベッドの上に寝転がったバリッドは、チディベアを枕の横に寝かせた。「それよりチディベアはさっきから声が大きすぎよ。ここに来た以上はちゃんと縫いぐるみを演じて貰わないと」
「それは分かっておりますよ」チディベアは布団に潜り込み、身を横に傾けた。「まあJISタウンは治安も良いですから、今日みたいなトラブルはそうそう起こらない筈です。それでは私はお先にお休みしますよ」
「私も眠るわ」バリッドも布団の中へ潜り込み、枕の上に頭を載せた。「お休み、チディベア」
目を閉じたバリッドはゆっくりと眠りの世界へ入り込もうとしたが、何かがすすり泣くようなか細い音がそれを阻んだ。
「うう…あんまりです、『変な布袋』なんてあんまりです…うっ」バリッドに背中を向けて寝転がるチディベアは肩を震わせながら寝言を繰り返していた。
「相当ショックだったのね、あの一言」皆が集まった朝の出来事を思い出したバリッドはチディベアを抱きかかえながら毛布に潜り込んだ。